旅の写真

9月22日(金)日本橋→千住へ 17.0km

日本橋の麒麟像。羽があるなど想像上の生き物

江戸伝馬町処刑場跡。安政の大獄で吉田松陰も

衣類、服飾・生活雑貨等が集まる横山町問屋街

神田川には何艘もの遊覧船が停泊していた

観光客で賑わう大提灯の雷門(浅草寺の山門)

浅草のまちを走る観光客相手のリキシャ

江戸二大刑場のひとつ小塚原刑場跡の首切地蔵

千住大橋。徳川家康が隅田川に初めて架橋した

足立市場脇の松尾芭蕉像。千住から奥の細道へ

千住商店街。日光街道で一番大きな宿場だった

9月25日(月)千住→草加→越ケ谷へ 21.7km

将軍が立ち寄った国土安穏寺。葵紋が許された

富士浅間神社(草加市)のユニークな狛犬像

草加松原の札場河岸に建つ旅姿の松尾芭蕉像

矢立橋から眺めた国名勝の草加松原の松並木

散歩している方に記念写真を。まだ半そでだ

綾瀬川に沿って634本の松が1.5kmもつづく

埼玉県内の日光街道に唯一残る蒲生の一里塚

店舗と蔵が横並びに残る越ケ谷の小泉家住宅

香取神社の奥殿の四面には無数の彫刻がある

彫刻は慶応2年の物。紺屋の労働作業もある

10月4日(水)越ケ谷→粕壁→杉戸へ 24.5km

国内外の賓客に使われる宮内庁の埼玉鴨場

古利根川でのんびり糸を垂れる釣り人

市内にある粕壁宿のわかりやすい四面の標柱

春日部市郷土資料館にある粕壁宿の推定模型

シャッターに宿場の様子が描かれていた

永嶋商店は慶長年間からつづく米穀問屋

道標「左日光道」は庚申信仰を兼ねている

開宿400年を記念して復元した杉戸宿高札場

杉戸の近津神社でみかけた「見返り狛犬」

枡形道路にある角穀跡。かつての米穀問屋

10月25日(水)杉戸→幸手→栗橋へ 22.0km

大島有隣が創建した「恭倹舎」(心学の講舎)

東武日光線を渡ると稲刈後の田んぼが広がる

日光御成道とぶつかる幕末からの石井酒造前

将軍の日光社参や例幣使が休憩した聖福寺

ピラミッドのように積まれた正福寺の古い墓

水害から守るため権現堂堤はつくられた

中川を渡ると周りは畑の静かな住宅街を歩く

この道標は安永4年(1775)に建てられた

中川の洪水を調節する権現堂調節地(行幸湖)

埼玉県最北部の栗橋宿(久喜市)の町並み

10月26日(木)栗橋→中田→古河→野木→間々田へ 26.7km

栗橋宿西本陣跡の発掘調査現場

栗橋・八坂神社の拝殿に珍しい「狛鯉」が

昔は渡船。朝もやの利根川の土手を歩く

中田宿は現在の利根川橋の河川敷にあった

江戸時代は一里つづいた中田の松並木

古河の町並みに似あう史跡案内板

よくみると案内板の屋根にソーラーパネル

正定寺にある旧古河藩主土井家の下屋敷表門

古河宿の大きな道標。「右筑波道 左日光道」

野木町・法音寺の芭蕉句碑。門人が建てた

11月4日(土)間々田→小山→新田→小金井へ 25.2km

「逢の榎」碑。間々田は日光街道の中間点

間々田八幡宮にある紅葉の美しい池

八幡宮境内でみつけた愛嬌のある狛犬

6世紀頃の千駄塚古墳にある神社は修復中

千年の歴史がある小山の総鎮守・須賀神社

七五三のお祝いに家族で須賀神社へお参り

小山市役所前にある「史跡小山評定跡碑」

市役所の広場では「栃木県ご当地グルメ」

林の中の「喜沢の一里塚」。見過ごして戻る

変形した両塚が残る国史跡「小金井一里塚」

11月5日(日)小金井→石橋→雀宮→宇都宮へ 26.5km

古刹の慈眼寺は将軍の日光社参時の休憩所に

小金井宿の本陣跡の門。いま宿の面影はない

旧街道に入ると、キャベツの箱入れ作業中

畑の中を直線の旧街道が何キロもつづく

丸大食品工場の慈母観音像。旧街道があった

将軍の日光社参の休憩所になった開雲寺

さや堂地蔵。小山・宇都宮合戦の死者を弔う

国道4号の「東京から100km」の標識

いまは塚跡も消えた江曽島の一里交差点

天皇陵の調査などをした蒲生君平の顕彰碑

11月15日(日)宇都宮→徳次郎へ 22.2km

江戸初期といわれる報恩寺の茅葺の山門

左に曲がると日光街道、直進は奥州街道へ

堂内には室町時代制作の延命地蔵がある

医療センター内にある樹齢450年の宝の木

車道の両側は土手になって安心して歩ける

一部修復した29里目の「高谷林の一里塚」

植栽の中にあった「大谷道」の道標

三宿があった徳次郎(とくじら)の町並み

智賀都神社の推定樹齢約700年の大ケヤキ

二宮尊徳(金次郎)が手がけた宝木用水

11月24日(金)徳次郎→大沢→今市へ 20.5km

江戸中期の大谷石でできた「うらない仏」

雪をかぶった男体山(2486m)がみえてきた

松平正綱が東照宮に寄進した杉並木寄進碑

何百年もの樹齢をもつ杉並木がつづく

杉並木がとぎれた場所に建つ二宮金次郎像

散歩中の人に旅人の記念写真をお願い

杉並木街道にあった32里目の大沢一里塚

ほとんど人が通らない静かな杉並木が続く

日光街道と例幣使街道の追分にある地蔵尊

追分の例幣使街道。この道も杉並木が続く

11月25日(土)今市→鉢石(日光)へ 13.5km

報徳二宮神社にある二宮尊徳像。墓もある

杉並木公園の重連水車。水車は直径4.5m

砲弾打込杉。戊申戦争時の官軍の攻撃跡

日光杉並木オーナーの杉がめだってきた

神事・強飯式がある生岡神社への常夜燈

美しく端正な杉という並木太郎。樹高38m

杉並木も終わり日光市の町並みに入る

これは旅館の建物?「日光市役所の支所」

日本橋から十日かけて日光の神橋にゴール

東照宮にある徳川家康の墓所(奥社宝塔)

12月6日(水)宇都宮→白沢→氏家へ 25.3km

大鳥居から階段を上って宇都宮二荒山神社へ

二荒山神社は日光と同じ名称だが違いは‥

豪壮な商家・旧篠原家住宅は約100坪の建物

宇都宮市街地から離れた下海道町の通り

車道は下、静かな土手の小道を歩く

白沢地蔵堂内には五輪塔などの供養塔がある

白沢宿通り両側の用水路に水車が回っている

鬼怒川土手近くに広がる稲刈り後の水田

鬼怒川土手近くに広がる稲刈り後の水田

鎌倉時代の築城の勝山城跡。いま勝山公園に

12月7日(木)氏家→喜連川→佐久山へ 24.6km

氏家・光明寺の不動明王像。ちょっと怖い顔

明治時代の実業家・瀧澤喜平治の大きな長屋門

街道沿いにある園庭の広い「たいよう保育園」

江戸時代の奥州道中。明治になって迂回路が

峠を下ると大谷石の蔵にスズメバチの巣発見

江戸時代からつづく美しい寒竹囲いの生垣

かつて城下町と宿場町だった喜連川(さくら市)

龍光寺には喜連川歴代藩主の墓碑・石塔がある

中山道(群馬・長野)でよくみかけた双体道祖神

享保6年(1721)の道標(左在郷道 右奥州海道)

12月19日(火)佐久山→大田原→鍋掛へ 23.3km

「運用膏」の看板が残る佐久山の八木澤家の門

大日堂内の推定樹齢800年のケヤキの巨木

路傍には大小の馬頭観音が陽をあびていた

水草ゆれる小さな田谷川にイトヨ(糸魚)が棲む

「与一の里名木選」の推定樹齢200年の赤松

街道沿いの川にいたサギ。近づくと飛び立つ

薬師堂内の七重塔。1684年の建立で全高約5m

大田原市内に建つ「弓をもつ那須与一像」

歴代藩主の墓所。大田原氏の菩提寺・光真寺

326年つづいた大田原城跡。いまは市民公園に

12月20日(水)鍋掛・越堀→芦野へ 15.6km

峠を越えると茶臼岳などの那須連山がくっきり

鍋掛公民館内に大きな芭蕉の句碑「野を横に…」

那珂川をはさんで鍋掛と越堀の宿場があった

越堀でみた「征馬之碑」。馬も戦争の犠牲に

峠を上り下りしてつづく道。歩く人はいない

余笹川近くでみた「畜魂碑」。感謝の気持ちに

原形をとどめている43里目の夫婦石の一里塚

芦野宿入口にある享保12年建立の河原町地蔵

観光客にはありがたい芦野宿の名所案内

武家屋敷門(旧平久江家)。400年のしだれ桜も

12月26日(火)芦野→白坂へ 20.7km

芦野宿の端に享保2年造立の地蔵尊などが並ぶ

松尾芭蕉も訪ねた名勝「遊行柳」。句碑がある

那須の名木イチョウの巨樹。乳房のようなこぶ

板屋バス停。スクールバス、町営バス等が並ぶ

那須町の泉田の一里塚。道路拡張で片塚のみに

路傍には二十三夜塔、道標などが置かれている

急階段上にある明神の地蔵尊。江戸中期の造立

境の明神(下野国と陸奥国の境)がみえてきた

白河市側の境の明神(玉津島神社・女神)

「貨車」をみてアウシュヴィッツを想いだす

12月27日(水)白坂→白河へ 17.2km

雪の新白河駅。1つめの無人駅・白坂駅で下車

雪の中カワゴ交差点から白河めざして歩く

戊辰戦争で戦死した会津藩戦死者を弔う戦死墓

白河市役所近くにあるハリストス正教会聖堂

白河駅は大正10年建築の木造駅舎だ

白河小峰城の石垣。石垣の積み方は数種類も

復元した三重櫓前で受付の人に記念写真を依頼

阿武隈川を渡ると、もうすぐゴールの女石追分

追分にある仙台藩士の戊辰戦争戦死者の供養碑


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