日本橋の麒麟像。羽があるなど想像上の生き物
江戸伝馬町処刑場跡。安政の大獄で吉田松陰も
衣類、服飾・生活雑貨等が集まる横山町問屋街
神田川には何艘もの遊覧船が停泊していた
観光客で賑わう大提灯の雷門(浅草寺の山門)
浅草のまちを走る観光客相手のリキシャ
江戸二大刑場のひとつ小塚原刑場跡の首切地蔵
千住大橋。徳川家康が隅田川に初めて架橋した
足立市場脇の松尾芭蕉像。千住から奥の細道へ
千住商店街。日光街道で一番大きな宿場だった
将軍が立ち寄った国土安穏寺。葵紋が許された
富士浅間神社(草加市)のユニークな狛犬像
草加松原の札場河岸に建つ旅姿の松尾芭蕉像
矢立橋から眺めた国名勝の草加松原の松並木
散歩している方に記念写真を。まだ半そでだ
綾瀬川に沿って634本の松が1.5kmもつづく
埼玉県内の日光街道に唯一残る蒲生の一里塚
店舗と蔵が横並びに残る越ケ谷の小泉家住宅
香取神社の奥殿の四面には無数の彫刻がある
彫刻は慶応2年の物。紺屋の労働作業もある
国内外の賓客に使われる宮内庁の埼玉鴨場
古利根川でのんびり糸を垂れる釣り人
市内にある粕壁宿のわかりやすい四面の標柱
春日部市郷土資料館にある粕壁宿の推定模型
シャッターに宿場の様子が描かれていた
永嶋商店は慶長年間からつづく米穀問屋
道標「左日光道」は庚申信仰を兼ねている
開宿400年を記念して復元した杉戸宿高札場
杉戸の近津神社でみかけた「見返り狛犬」
枡形道路にある角穀跡。かつての米穀問屋
大島有隣が創建した「恭倹舎」(心学の講舎)
東武日光線を渡ると稲刈後の田んぼが広がる
日光御成道とぶつかる幕末からの石井酒造前
将軍の日光社参や例幣使が休憩した聖福寺
ピラミッドのように積まれた正福寺の古い墓
水害から守るため権現堂堤はつくられた
中川を渡ると周りは畑の静かな住宅街を歩く
この道標は安永4年(1775)に建てられた
中川の洪水を調節する権現堂調節地(行幸湖)
埼玉県最北部の栗橋宿(久喜市)の町並み
栗橋宿西本陣跡の発掘調査現場
栗橋・八坂神社の拝殿に珍しい「狛鯉」が
昔は渡船。朝もやの利根川の土手を歩く
中田宿は現在の利根川橋の河川敷にあった
江戸時代は一里つづいた中田の松並木
古河の町並みに似あう史跡案内板
よくみると案内板の屋根にソーラーパネル
正定寺にある旧古河藩主土井家の下屋敷表門
古河宿の大きな道標。「右筑波道 左日光道」
野木町・法音寺の芭蕉句碑。門人が建てた
「逢の榎」碑。間々田は日光街道の中間点
間々田八幡宮にある紅葉の美しい池
八幡宮境内でみつけた愛嬌のある狛犬
6世紀頃の千駄塚古墳にある神社は修復中
千年の歴史がある小山の総鎮守・須賀神社
七五三のお祝いに家族で須賀神社へお参り
小山市役所前にある「史跡小山評定跡碑」
市役所の広場では「栃木県ご当地グルメ」
林の中の「喜沢の一里塚」。見過ごして戻る
変形した両塚が残る国史跡「小金井一里塚」
古刹の慈眼寺は将軍の日光社参時の休憩所に
小金井宿の本陣跡の門。いま宿の面影はない
旧街道に入ると、キャベツの箱入れ作業中
畑の中を直線の旧街道が何キロもつづく
丸大食品工場の慈母観音像。旧街道があった
将軍の日光社参の休憩所になった開雲寺
さや堂地蔵。小山・宇都宮合戦の死者を弔う
国道4号の「東京から100km」の標識
いまは塚跡も消えた江曽島の一里交差点
天皇陵の調査などをした蒲生君平の顕彰碑
江戸初期といわれる報恩寺の茅葺の山門
左に曲がると日光街道、直進は奥州街道へ
堂内には室町時代制作の延命地蔵がある
医療センター内にある樹齢450年の宝の木
車道の両側は土手になって安心して歩ける
一部修復した29里目の「高谷林の一里塚」
植栽の中にあった「大谷道」の道標
三宿があった徳次郎(とくじら)の町並み
智賀都神社の推定樹齢約700年の大ケヤキ
二宮尊徳(金次郎)が手がけた宝木用水
江戸中期の大谷石でできた「うらない仏」
雪をかぶった男体山(2486m)がみえてきた
松平正綱が東照宮に寄進した杉並木寄進碑
何百年もの樹齢をもつ杉並木がつづく
杉並木がとぎれた場所に建つ二宮金次郎像
散歩中の人に旅人の記念写真をお願い
杉並木街道にあった32里目の大沢一里塚
ほとんど人が通らない静かな杉並木が続く
日光街道と例幣使街道の追分にある地蔵尊
追分の例幣使街道。この道も杉並木が続く
報徳二宮神社にある二宮尊徳像。墓もある
杉並木公園の重連水車。水車は直径4.5m
砲弾打込杉。戊申戦争時の官軍の攻撃跡
日光杉並木オーナーの杉がめだってきた
神事・強飯式がある生岡神社への常夜燈
美しく端正な杉という並木太郎。樹高38m
杉並木も終わり日光市の町並みに入る
これは旅館の建物?「日光市役所の支所」
日本橋から十日かけて日光の神橋にゴール
東照宮にある徳川家康の墓所(奥社宝塔)
大鳥居から階段を上って宇都宮二荒山神社へ
二荒山神社は日光と同じ名称だが違いは‥
豪壮な商家・旧篠原家住宅は約100坪の建物
宇都宮市街地から離れた下海道町の通り
車道は下、静かな土手の小道を歩く
白沢地蔵堂内には五輪塔などの供養塔がある
白沢宿通り両側の用水路に水車が回っている
鬼怒川土手近くに広がる稲刈り後の水田
鎌倉時代の築城の勝山城跡。いま勝山公園に
氏家・光明寺の不動明王像。ちょっと怖い顔
明治時代の実業家・瀧澤喜平治の大きな長屋門
街道沿いにある園庭の広い「たいよう保育園」
江戸時代の奥州道中。明治になって迂回路が
峠を下ると大谷石の蔵にスズメバチの巣発見
江戸時代からつづく美しい寒竹囲いの生垣
かつて城下町と宿場町だった喜連川(さくら市)
龍光寺には喜連川歴代藩主の墓碑・石塔がある
中山道(群馬・長野)でよくみかけた双体道祖神
享保6年(1721)の道標(左在郷道 右奥州海道)
「運用膏」の看板が残る佐久山の八木澤家の門
大日堂内の推定樹齢800年のケヤキの巨木
路傍には大小の馬頭観音が陽をあびていた
水草ゆれる小さな田谷川にイトヨ(糸魚)が棲む
「与一の里名木選」の推定樹齢200年の赤松
街道沿いの川にいたサギ。近づくと飛び立つ
薬師堂内の七重塔。1684年の建立で全高約5m
大田原市内に建つ「弓をもつ那須与一像」
歴代藩主の墓所。大田原氏の菩提寺・光真寺
326年つづいた大田原城跡。いまは市民公園に
峠を越えると茶臼岳などの那須連山がくっきり
鍋掛公民館内に大きな芭蕉の句碑「野を横に…」
那珂川をはさんで鍋掛と越堀の宿場があった
越堀でみた「征馬之碑」。馬も戦争の犠牲に
峠を上り下りしてつづく道。歩く人はいない
余笹川近くでみた「畜魂碑」。感謝の気持ちに
原形をとどめている43里目の夫婦石の一里塚
芦野宿入口にある享保12年建立の河原町地蔵
観光客にはありがたい芦野宿の名所案内
武家屋敷門(旧平久江家)。400年のしだれ桜も
芦野宿の端に享保2年造立の地蔵尊などが並ぶ
松尾芭蕉も訪ねた名勝「遊行柳」。句碑がある
那須の名木イチョウの巨樹。乳房のようなこぶ
板屋バス停。スクールバス、町営バス等が並ぶ
那須町の泉田の一里塚。道路拡張で片塚のみに
路傍には二十三夜塔、道標などが置かれている
急階段上にある明神の地蔵尊。江戸中期の造立
境の明神(下野国と陸奥国の境)がみえてきた
白河市側の境の明神(玉津島神社・女神)
「貨車」をみてアウシュヴィッツを想いだす
雪の新白河駅。1つめの無人駅・白坂駅で下車
雪の中カワゴ交差点から白河めざして歩く
戊辰戦争で戦死した会津藩戦死者を弔う戦死墓
白河市役所近くにあるハリストス正教会聖堂
白河駅は大正10年建築の木造駅舎だ
白河小峰城の石垣。石垣の積み方は数種類も
復元した三重櫓前で受付の人に記念写真を依頼
阿武隈川を渡ると、もうすぐゴールの女石追分
追分にある仙台藩士の戊辰戦争戦死者の供養碑
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