江戸五街道のうち、すでに東海道、中山道、甲州街道(甲州道中)の三街道の旅は終わった。残るは日光街道(日光道中)、奥州街道(奥州道中)となった。五街道の起点は日本橋だ。ぼくが初めて日本橋にたったのは2014年9月11日であった。あれから3年。東海道、中山道、甲州街道と違って、顔は西日に照らされなかった。そう、日光街道・奥州街道は地理的にみても北上していた。
日光はなじみのある地名だ。「日光東照宮」「華厳の滝」など子どもの頃から知っていた。だが日本橋から千住、草加、幸手、古河、小山、宇都宮、今市などは初めて歩くまちで、まったく地理感覚にうとい。日光街道は千住から日光・初石まで21宿、約140kmある。他の街道とちがって峠や山越えはほとんどなかった。日光への道は広い関東平野のなかを歩く。平らでほとんど変化のない道だ。
日本橋から宇都宮まで日光街道と奥州街道は重なっている。宇都宮の伝馬町追分で北上すると日光街道、東に歩くと奥州街道への道になる。したがって奥州街道は、厳密には宇都宮の日光街道から分かれて、白沢、喜連川、大田原、芦野などをへて白河にいたる10宿が五街道のひとつとされる。この五街道は江戸幕府の直接支配下におかれ、道中奉行が管轄した。距離は約84kmになる。
寄り道したぼくの歩行距離は、日本橋~日光までの10日間・220km、宇都宮~白河は6日間・126kmになった。出発した2017年9月22日はまだ半そでだったが、最終ゴールの白河市は12月27日、一日中雪の中を歩いて白河の女石追分にゴールした。ぜひ「旅日記」「記録写真」などをご覧ください。
(旅人・当麻実)
※なお、文中の一日の歩行距離は、現地発・現地着で一歩67cmの歩数計をメモした。歩行距離はあくまでも目安だ。また今回の旅では、『街道を歩く1 日光街道』(大高利一郎編著、のんぶる舎)、『歴史の道探検マップ~日光例幣使街道・奥州街道』(栃木県教育委員会)、「ちゃんと歩ける奥州道中十次マップ」(五街道ウォーク)などを参考にして歩いた。