旅日記

10月4日(水)越ケ谷→粕壁→杉戸へ 24.5km

 朝7時すぎ、北越谷駅からスタート。歩くと右手に元荒川の桜堤がある。おだやかな川の流れだ。土手に道標など三基がある。やがて広大な敷地の宮内庁埼玉鴨場がみえてきた。江戸時代は幕府の鷹場だったが、明治41年(1908)に鴨場として開設され、賓客の接待の場に使用されている。残念ながら一般公開(原則)はされていない。
 さらに歩くと右手に小さな香取神社がある。この神社では埼玉県指定無形民俗文化財「下間久里の獅子舞」が7月にある。その歴史は文禄3年(1594)に京都から伝わったといわれる。ぼくの住む所沢市山口の瑞巌寺境内でも10月に「岩崎ささら獅子舞」(市指定無形民俗文化財)がある。岩崎ささら獅子舞は、慶長19年(1614)大坂冬の陣の帰途に京都からというから同じような歴史だ。
 やがて道は陸橋入口で国道4号にぶつかる。新方川を渡ると春日部市に入る。何キロもひたすら粕壁宿にむけて国道を歩くことになる。途中「史跡備後一里塚」の新石碑があったが、何里目かはわからない。すぐ近くに大落古利根川が流れている。川岸にいくと釣り人が何人かいた。さらに歩くと東武野田線の下をくぐる。国道をわかれて左折すると粕壁宿に入る。
 東陽寺の芭蕉記念碑をみてから春日部市立郷土資料館に寄った。この資料館には、幕末の町並みを再現した200分の1の「粕壁宿推定模型」がある。粕壁宿は江戸から9里2町(約35.6km)で、天保14年(1843)の「宿村大概帳」によると、本陣1軒、脇本陣1軒、旅籠屋45軒、家数773軒、人口3701人がいた。
 宿場の面影はほとんどないが、街角の「日光道中 粕壁宿」の標柱には説明があり、さらに「粕壁宿めぐり」ができるように順路が示されている。町の歴史を知ることができるうれしい標柱だ。街道には老舗の田村本店前には日光道中の道標(天保5年の日光、岩槻、江戸方面)がある。さらに慶長年間からつづく米穀問屋の永嶋庄兵衛商店などもある。
 丁字路には最勝院がある。元弘の乱などで活躍した春日部重行を葬ったといわれる。広い境内は明治になると粕壁小学校(明治5年)や大相撲の地方興行にも利用された。寺町通りの分岐点には浜島家(米穀商)住宅土蔵、高札場跡がある。古利根川の新町橋付近では河川を利用した舟運が盛んだったという。
 さらに歩くと「史跡小渕一里塚」の新しい碑と庚申塔がある。やがて道は追分になり道標が二基ある。大きい道標は宝暦4年(1754)建立で、正面に「青面金剛」左側面に「左日光道」とある。道標と庚申信仰を兼ねたものだ。小さな自然石の道標はわからない。ふたたび国道4号と合流。左側に小渕山観音院(こぶとり観音)がある。元禄時代に建立された楼門(仁王門)がある。左右の仁王様の彫刻はひび割れて、顔の部分だけが赤色が残っているだけで、残念ながら保存状態はよくない。
 道はやがて杉戸町に入ってきた。九品寺境内に道標がある。これは天明4年(1784)の建立で、石塔には「左日光」「右江戸」と「青面金剛」の文字がある。しばらく歩くと杉戸町役場がある。ここで『杉戸宿まち歩きブック』を手に入れた。このガイド本は便利でわかりやすい。杉戸宿は本陣1軒、脇本陣2軒、旅籠屋46軒、家数365軒、人口は1663人(天保14年)がいた。
 町並みに開宿400年を記念して復元した高札場がある。近くの近津神社に寄ってみた。境内には珍しい「見返り狛犬」の対がある。町並みには古民家・渡辺金物店跡や枡形道路には角穀跡(米穀問屋)の小島定右衛門宅がある。かつて米の輸送は近くを流れる大落古利根川を利用した。近くにある東武動物公園駅(旧杉戸駅)から午後5時前に帰宅へ。


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