旅日記

11月5日(日)小金井→石橋→雀宮→宇都宮へ 26.5km

 午前8時、小金井一里塚からスタート。すぐ左側に慈眼寺がみえてきた。慈眼寺は12世紀に創建された古刹で、将軍が日光社参の時に昼食休憩をしている。境内に入ると江戸時代の観音堂や高い鐘楼がある。近くの金井神社で旅の安全を祈願した。
 さらに歩くと門構えの本陣跡がみえてきた。小金井宿は天保14年(1843)の「宿村大概帳」によると、宿内の長さは6町42間(約730m)、本陣と脇本陣が各1軒、旅籠屋は43軒、宿人口は767人がいた。いまは国道4号沿いで宿場の面影はない。
 さらに国道を歩く。やがて斜めに入ると旧日光街道の道があるはずだ。しばらく歩くとどうも変だ。旧パチンコ店裏からの道はない。国道にもどり、昨年完成したピカピカの下野市役所近くの交差点を左に曲がると狭い直線道路があった。ご近所の人に聞くと「ここが旧日光街道だ」とわかる。
 まわりは畑になっている。キャベツ畑には数人が収穫したキャベツをダンボール箱に入れていた。数キロつづくまっすぐな道だ。本来の旧日光街道はさらにつづくが、途中丁字路にぶつかり、右折するとふたたび国道にでた。丸大食品工場の門内に大きな慈母観音像がそびえたっている。この工場内も旧街道が通っていた。
 マンホールをみると「グリムの里いしばし」とある。旧石橋町(現・下野市石橋)は、グリム兄弟の出身地・ドイツのシュタインブリュケンと姉妹都市を結んでいる。石橋駅から西へ約2kmにはグリム童話がひろがる「グリムの森・グリムの館」があるという。
 石橋宿は本陣と脇本陣が各1軒、旅籠屋30軒、宿人口は414人がいた。本陣跡、脇本陣跡はあるが、いま宿場の面影はない。近くの開雲寺に立ち寄った。この寺は8世紀頃の開基といわれ、徳川家光の日光社参の時、この寺に仮御殿を設けて休息所にしている。
 さらに数キロ北上すると右手に鞘堂地蔵がある。鞘堂(さやどう)の名は、天授6年(1380)の「小山・宇都宮合戦」の際、村人が戦死した兵の鞘を集めて埋め、そこにお堂を建てて地蔵を安置したことからきたという。
 ふたたび国道を歩く。北関東自動車道をくぐると左側に陸上自衛隊宇都宮駐屯地がみえてきた。JR雀宮駅(宇都宮市)まで単調な道をひたすら歩く。天保14年の「宿村大概帳」によると、雀宮宿内の人口は268人、本陣と脇本陣は各1軒、旅籠数は38軒があった。門構えの脇本陣跡、馬頭観音や雀宮神社に寄ってみたが、もはや宿場の面影はない。
 国道を歩くと左側に陸上自衛隊北宇都宮駐屯地の門がみえてきた。この駐屯地には航空学校があり宇都宮飛行場がある。JR宇都宮線の踏切前の信号には「一里」の名はあるが、26里目の一里塚は、いま塚跡もない。やがてSUBARU(旧富士重工)宇都宮製作所がみえてきた。「この地にて鉄道車両を製造1946年~2003年」というモニュメントがあるが、いまは航空宇宙産業の工場だ。
 JR日光線をすぎると三叉路に不動明王を祀った不動堂がある。さらに東武宇都宮線のガードをくぐると、天皇陵の調査などに功績を残した「蒲生君平の顕彰碑」がある。側面に「宇都宮藩知事戸田忠知奉行」(明治2年建立)とある。街道左側には多くの寺院があるが、すでに日没の暗い時間だ。急ぎ駅にむかった。次回は材木町通りからスタートすることになる。


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