旅日記

11月15日(日)宇都宮→徳次郎へ 22.2km

 午前8時半頃、昨日材木町通り手前の見過ごした報恩寺からスタートした。いまは日没が早い。調べてみると11月15日栃木県の「日の出は午前6時18分、日の入りは16時32分」。朝一番でみたかったのは、報恩寺の美しい茅葺の山門。けっして大きな山門ではないが、江戸時代初期の建物といわれている。やわらかで温かみのある山門だ。
 裁判所の丁字路を右にまわると伝馬町に入る。江戸からの街道は、郵便局の先で左折すると日光街道(日光道中)へ、直進が奥州街道(奥州道中)になる。宇都宮宿は日光街道と奥州街道が分岐する宿場。この付近には本陣などがあり、将軍一行の日光社参や参勤交代の諸大名、一般庶民にいたるまで多くの通行がありにぎやかな宿場だった。また将軍が宿泊した宇都宮城の城下町でもあった。
 天保14年(1843)の「宿村大概帳」によると、宇都宮宿は人口6457人、家数1219軒、本陣2軒、脇本陣1軒、旅籠屋が42軒あった。町並みは20町(約2.2km)、宇都宮は交通の要衝のため商品流通の中心地でもあった。ぼくにとってまだ奥州街道があるので、市内の二荒山神社などの見学は後日の楽しみにしたい。ちなみに現在の宇都宮市は人口約52万人、面積は417㎢(わがまち所沢市は約34万人、面積は72㎢)ある。
 日光街道をすすむと右側に延命院がある。境内の地蔵堂は享保年間(1716~36)の建立で、堂内には室町時代の木造地蔵菩薩立像が安置されている。またこの寺で、陵墓の研究をした蒲生君平が幼児期に住職から読み書きの手ほどきをうけたという。蒲生は明和5年(1768)宇都宮の新石町で生まれた。蒲生君平の墓所がある近くの桂林寺にも寄った。
 ふたたび日光街道にもどる。数キロ歩くと右手に栃木医療センターがある。入口に推定樹齢450年以上の「宝の木」(コノテガシラ)がある。樹高は8m位だ。葉は子どもの手のひらのようにみえる。案内板がなければ気づかないであろう。さらに歩くと道の両側に桜並木がみえてきた。土手の歩道は車道より2~3m高くなっている。安心して歩ける。その歩道部分に28里目の「上戸祭の一里塚」がある。西塚には「1983年に一部修復整備した」とある。
 やがて徳川将軍の日光社参時の休息所になった光明寺がみえてきた。鐘楼がある立派な門だ。両側の歩道は桜から杉の木が多くなってきた。さらにすすむと29里目の「高谷林の一里塚」がある。このあたりの道は両側の土手より低いが、一里塚は歩道の外側に位置しているのが日光街道の特徴だという。
 東北自動車道をすぎると「大谷道の道標」があるはずだ。わからず通りすぎてから、ご近所の人に聞くと「交差点の植栽がある所にある」と。これではなかなか気づかない。小さな道標には「大谷道」とある。ここから大谷観音(大谷寺)への道があったが、いまは廃道になっている。きょう歩いていると大谷石を使った蔵や石垣などあちこちで目にした。大谷石の石質は柔らかく加工しやすいので奈良時代以前から使われていたという。
 徳次郎(とくじら)交差点に欠けた「田中道の道標」(神社入口道約5丁 田中道)がある。かつてこの道標は中徳次郎宿の本陣と問屋場があった所におかれていたという。このあたりは徳次郎宿(現宇都宮市)だったが、宿場の面影はまったくない。徳次郎宿は上徳次郎宿、中徳次郎宿、下徳次郎宿の三宿の問屋場が各10日ずつ交代で人馬引継ぎの業務をしていた、いわゆる合宿(あいしゅく)だ。
 日光道中宿村大概帳によれば、三宿あわせて宿人口は653人、家数は168軒、本陣は2軒、仮本陣1軒、脇本陣3軒、仮脇本陣1軒、旅籠屋は72軒があった。旅籠屋の軒数は、小山宿の74軒につぐ軒数だ。旅籠屋でもとくに飯盛女(男性相手)がいる飯盛旅籠屋が多かった。また三宿は距離的に近く約2キロの間にあった。
 智賀都(ちかつ)神社に寄ってみた。宝亀9年(778)創建という神社入口に推定樹齢700年の二本の大ケヤキ(樹高40m)がそびえている。この大ケヤキは栃木県指定天然記念物になっている。本殿前の狛犬の対は風雪に耐えたという顔をしている。
 近くには宝木用水(二宮堰)がある。寄り道して用水を見学した。この用水は二宮尊徳(金次郎)による設計で、安政6年(1859)に完成した。この付近は江戸初期の頃は一面の野原で、17世紀に新田の開発が企てられたが、水利が悪く不作であった。二宮堰は田川から新堀、宝木用水へ水を引き込むという大切な役割をはたしている。つるはしで、よくぞ村人は立派な用水を造ったと思う。
 やがて江戸から30里目の「六本木の一里塚」に着いた。塚の上に石碑が建てられている。
さらに歩くと石那田堰がある。ここは二宮尊徳の指導で、嘉永5年(1852)に築かれた用水だ。現在、田川からの取水は河川の改修で当時の面影はないが、おなじみの二宮尊徳(金次郎)の像と移築記念碑が建てられている。
 もとにもどり、午後4時半に石那田バス停(宇都宮市石那田)から宇都宮駅行きに乗り帰宅した。次回はこのバス停からスタートし、最終ゴールの「日光の社寺」をめざす予定だ。


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